ヴィパサナー瞑想のやりかたヴィパサナー瞑想のやり方2000年の秋にミャンマーはヤンゴンの、マハシ瞑想センターという所で瞑想修行をしてきました。 ここではその瞑想のやり方を紹介します。 ===================== 歩行禅のやり方 私が(比較的)好きだった歩行禅のやり方です。ミャンマーの人は夜、歩行禅をしてから眠る人もいるようです。不眠症の方はお試しを(?) <5~10分コース> 真直ぐに立つ。目は1~2メートル先を見る。手は前か後に組む。 以下、歩く。行動している様子を心の中で実況中継するような気持ちで。 「歩きます」 「右足、上げます」 「右足、運びます」 「右足、降ろします」 「止まります」 「歩きます」 「左足、上げます」 : : (以下、繰り返し) : (行き止まりに着いたら、) 「止まります」 「立ち止まっています」×3回くらい思う 「回ります」(方向転換) 「立っています」 「歩きます」 「右足、上げます」 「右足、運びます」 : : と、5分から10分続けます。 ちょっとバカバカしいですか? でもこんな単純なことでも、やってみると以外と難しいんです。 なぜか? それは後から後から、雑念や妄執が襲ってきたり、気付くと歩きながら、他のものに目をとられていたりするからです。 そんな自分に気付いたら、 「見ています」 「考えています」 「雑念」 などと、今の自分の状況を実況中継して、 また、 「右足、運びます」 と、歩行禅に戻ります。 <30~60分コース> 同じように姿勢を整えて歩き始めます。 長めに歩くときは、始めは普通のスピードで、 「歩きます」 「右」 「左」 「右」 「左」 と、15分くらい歩きます。 だんだん集中してこれるようになったら、徐々にゆっくり 「右足、上げる」 「右足、運ぶ」 「右足、降ろす」 : と、続けていきます。 もっと集中力が高まってきたら、一歩ごとに 「右足、爪先」 「右足(地面に)足が触れる」 「右足、かかと」 「足が離れる」 : と、足裏に集中していきます。 瞑想とは一体なんなのか? というと、実はこの雑念や妄想との戦いなのかもしれません。(あと、眠気) こうして瞑想してみると、いかに日々の思考が(ほとんど)雑念ばっかりなのか分かったような気がしました。 ================== 座禅のしかた 三帰依(仏 法 僧) ようは、三拝 以下、実況中継しながら 「座ります。座ります。」 「(腰を)降ろします。降ろします。」 「(尻や手などが床に)当たります。当たります。」 「足を組みます。」 「左足を組みます。右足を組みます。」 (足は自由な形に組んでいい) 背筋と頭は真直ぐ 手は重ねる。もしくは両膝 目は軽く閉じる。半眼「目を閉じます。」 「瞑想を始めます。」 「息を吸います。吐きます。」(3~5回 深呼吸) 鼻から息を出し入れ 「(お腹が)膨らみます。へこみます。」 「(お腹が)膨らみます。へこみます。」 腹式呼吸のお腹に集中して、自然な呼吸にしていく。 私は普段腹式呼吸をしないので、始めは混乱して呼吸混乱になりそうだった。本によるとブッダは鼻のふくらみと縮みを見ながらやったとか。(だから仏像には近目になってるものがある。) でもマハシセンターでは複式を奨励しているらしく、鼻ではなくお腹のふくらみに集中しなさい。と言われる。流派によっていろいろやり方がある? (確かに鼻が低いと目が疲れる…。ブッダは鼻高インド人…) さて、こうして座っていだけでも、いろいろな邪魔が襲ってくる。 邪魔1 思い出し「あ、ロト買い忘れてる…」 妄想「やっぱり男はしょうゆ顔じゃないと…」 雑念「PC買い換えたいな~」 こうした心の動きに注意を払い、何か思ったら「雑念」とか「思い出してる」とか心の動きをラベリングする。考えていることがなくなるまで。 邪魔2 生理的感覚 痒み「蚊に刺された~!」 痛み「足がしびれたっす~(;;)」 上座の瞑想では、まず 「痒み」とか「痛み」とか、感じなくなるまでラベリングしてみる。それでも感覚が去らない時は(去るもんかよ…)、掻いたり、足を動かしてもいい。ただしその時も体の動きを注意深く実況中継。 「手を上げます。腕に手を触れます。掻きます。」 「しびれ…。足をうごかす。座り直し。」など。 つまり、「ガーーッ!!痒い!!」→ボリボリ、と直情的に行動してはいけない。 邪魔3 雑音「鳥?」「車の音?」「だれかしゃべってる?」 聞き耳をたてていたら、「音」とラベリング。聞かなくなるまで。 邪魔4 眠気 (--。ZZZ… ハッ!!と居眠りしている自分に気付いたら、 「居眠り。居眠り。」 とラベリングして、 「姿勢を直します。」 と、瞑想を続ける。 ↑ これ絶対ムリですって。(私には) ― 座禅終了 ― 3,4回深呼吸 「吸います。はきます。瞑想を終了します。」(×3回) こんな風に書くと、厳格な形式がありそうですが、 皆基本以外は自己流っぽかった。 ようは自分なりに集中していくことでしょうか。 ところで私が出した邪魔4(眠気)への対抗法は、 「眠くなくなるまで寝る。」 でした。 ======================== 慈悲の瞑想のやり方 仏教でいうところの、慈悲喜捨を心の癖にするための瞑想。 初めて見たときはマジかよ~と思いましたが、寝る前などにやると良かったかな。 どんな姿勢でもOK 深呼吸して(三拝して)始める。 私が幸せでありますように。(慈) 私の苦しみがなくなりますように。(悲) 私の願い事が叶いますように。(喜) 私に光明が現れますように。(捨)→悟りの光…とかいうらしい。 私が幸せでありますように。(×3回) 私の親しい人が… (以下同文) 生きとし生けるものが…(以下同文) ----- この他、 「私の嫌いな人が…」 とか、 「私を嫌いな人が…」 とかいうフレーズもありました。 つまり、自分の幸せを願うように、誰もの幸せを願うように心に癖をつけよ、ということなのでしょう。 でも「私の親しい人」の次にいきなり「生きとし生けるもの」っていうのは広がりすぎなような気がしました。だって、人間とか動物だけでなく、原生動物から植物から、精霊とかカミサマの幸せまで祈るらしいし。 私は、自分の親しい面々…家族や友人や親戚や職場の人や昔の友だちや、旦那の家族や親戚や、旅先で知り合った人や、だれやらかれやら思い出していると、だいたい眠くなってきて、良い感じで眠れてしまいます。(もう寝すぎ) |